『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ

本書の概要
カズオ・イシグロは2017年にノーベル文学賞を受賞した英国の作家だ。名前からも察せられるが両親は日本人で、幼少期にイギリスへ渡った。日本で暮らした経験は短いが、日本映画に強く影響されていると語っている。
『わたしを離さないで』『日の名残り』などからイシグロ作品を読み始めた方は、『忘れられた巨人』の世界観に困惑するかもしれない。イシグロ作品は作品ごとに世界観をガラリと変え、ジャンルを軽々と超えるような作品ばかりであるからだ。SFのようであったり、ミステリーのようであったりするが、『忘れられた巨人』は歴史をベースにしたファンタジーのようでもある。
あらすじ
黙々と歩く二人を見て、驚く方がいるかもしれない。いつもあれほどしゃべり合っている二人なのに、なぜこんなに黙りこくって歩いているのか、と。だが、時代が時代だった。足首の骨を折ったり、擦り傷を化膿させたりしたら、それこそ生命の危機に直結する。一歩一歩、集中して歩くことが最優先される時代だった。
『忘れられた巨人』より
舞台は、アーサー王が亡くなったあとのイギリスだ。精霊や悪鬼といった存在がいることが当たり前のように語られていて、ファンタジーな雰囲気もある。
メインの登場人物であるアクセルとベアトリスという老夫婦は村で暮らしている。二人もそうだが、周囲の人々の記憶もひどく曖昧で、忘れっぽい。過去にあったこともよく思い出せない。そんな中で、アクセルとベアトリスの老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため長年暮らした村を後にする。
そうはいっても、その旅の理由も強い確信に駆られたわけではない。「自分たちには息子がいたと思う」という記憶を頼りにした旅であった。
作品自体も、霧に包まれてしまったかのように掴みどころがない。老夫婦は、道中で若い戦士、鬼に襲われた少年、老騎士、修道僧など、さまざまな人物に出会いながら、荒れ野や森を進み、時には超自然な存在に出くわしながらも、互いを気遣いながら旅を続けていく。
所感
イシグロ作品といえば、日本では『わたしを離さないで』が有名かもしれない。映画化もされ、世界的なベストセラーとなった。だが、わたしがカズオ・イシグロの作品でもっとも好きなのは?と聞かれたら、わたしは『忘れられた巨人』か『日の名残り』を選ぶだろう。この2作は奇しくも、主人公が旅をする話だ。
短い旅ではあるが、道中で出会う人々との会話や、何より老夫婦が険しい旅の合間にお互いを気遣い合うところがいい。イシグロ作品の面白いところは旅の描写というよりも、旅によって引き出される登場人物たちの過去や感情の揺れ動きである。
新しいものに出会うための旅が、過去のことを振り返るトリガーになってしまうこともある。この作品や『日の名残り』を読んでそのことを思い出した。