『旅猫リポート』有川浩

本書の概要
『旅猫リポート』は、有川浩による長編小説だ。語り手は一匹の猫──名前はナナ。交通事故で傷ついたところを青年サトルに助けられ、以来、彼と暮らしている。そんなナナの視点で語られる物語は、意外なほど饒舌で、ユーモアと哀しみが絶妙に交差している。
ジャンルとしてはロードノベルに分類されるが、旅の目的は一般的な「観光」ではない。サトルはある事情により、ナナを手放すことを決める。そして、彼の旧友たちを訪ねていく道中で、ナナの新しい飼い主を探そうとするのだ。
日本各地を巡る旅と、過去の記憶をたどる構成が重なり、物語は進んでいく。土地ごとに描かれる風景や出会う人々が、それぞれサトルの人柄を映す鏡のようで、読み進めるうちに彼の人物像が少しずつ立ち上がってくる。
ユニークなのは、やはり猫のナナの一人称による語りだ。時にシニカルで、時に素直。彼の目を通して描かれる旅の風景や人間の感情が、とても新鮮に映る。人と動物、そして読者との距離感を心地よく保ちながら、ぐいぐいと引き込んでくる語り口だ。
あらすじ
ナナは、ある日、青年サトルと旅に出る。サトルには説明しがたい事情があって、ナナのために新しい飼い主を探さなければならなかった。そのため、彼は旧友たちを訪ねて、日本各地をめぐっていく。
「この人の猫でいられて、本当に良かった」
『旅猫リポート』より
それぞれの訪問先では、サトルの昔の仲間たちとの再会がある。少年時代の親友、高校時代の同級生、元同僚。懐かしいやりとりの中で、彼の過去が次第に明かされていく。そして読者は、サトルの人柄に自然と引き寄せられていく。
やがて、旅の終盤で、サトルが重い病に侵されていることが分かる。旅の本当の理由も、その事実とともに静かに浮かび上がってくる。ナナは言葉こそ話さないけれど、誰よりもサトルの変化を感じ取っていた。
サトルが旅の途中で見せた穏やかな笑顔や、友人に語った想いは、決して大げさではない。それでも、読む者の胸を打つ。そして彼の最期を見届けたナナが、新しい一歩を踏み出すラストには、言葉では言い表せない深い余韻が残る。
所感
読み終えてまず感じたのは、「動物の視点だからこそ描けた距離感」がとても貴重だということだった。ナナの語りは、人間の心の機微をとても冷静に見つめているようでいて、同時にどこかで温もりを湛えている。人間同士では照れくさくて交わせない想いが、ナナの言葉を通すことで、するりと胸に届いてくる。
ナナとサトルの関係性も絶妙だった。いわゆる「飼い主とペット」という構図を超えていて、ふたりの間には、対等な信頼のようなものが流れている。互いに多くを語らずとも通じ合う関係性には、羨ましさすら覚えた。
旅先で描かれる日本の風景や、出会った人々との会話も印象に残っている。どのエピソードも過剰な演出がなく、だからこそ、その場の空気や感情が静かに沁み込んでくる。感動の押し売りが一切ないのに、気づけば目の奥が熱くなっている。そんな読後感だった。
『旅猫リポート』は、猫の物語でもあり、人の物語でもある。そしてきっと「別れ」の物語でもある。それなのに、こんなにも優しい気持ちで読み終えられる小説は、そう多くないと思う。