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『土佐日記』紀貫之

高知城

本書の概要

『土佐日記』は、紀貫之が、土佐から京に帰るまでの旅路で起こった出来事を、面白おかしく綴った日記調の小説だ。

日記「調」というのは、土佐日記で書かれている出来事のほとんどは事実ではなく、創作だからである。

成立は承平5年(934年)頃と考えられており、日本最古の「日記文学」であろうと考えられている。この時代の日記といえば、男性官僚が記録を記すものと決まっていた。また、個人の気持ちや感情というものは反映されなかったし、漢字はそのような感情の機微を書き記すのにあまり向いていなかったのだ。

『土佐日記』を教科書で読んだことがある人もいれば、インパクトの強い書き出しを覚えている人もいるだろう。

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

『土佐日記』より

「男性が書くという日記というものを、女性である私もやってみようと思った」という書き出しからスタートする。ただし、『土佐日記』が画期的だったのは、日記をひらがなで書き、人の心の動きを書きとめたという点であって、女性のふりをするところにはない。平安時代には、男性が女性のふりをして和歌を詠むことが珍しいわけではなかった。

あらすじ

『土佐日記』は、紀行文のような体裁を取った悲喜こもごもの小説である。土佐を出てから55日間、紀貫之はずっと日記を書き続けた。全編を通してユーモアにあふれている作品だが、早い段階で娘が死んでしまったことがきっぱりと書かれており、ときどき娘のことを思い出しては悲しんでいる。

旅路の情景や出会った人に対する思いなどは、喜びも悲しみも入り混じった和歌57首に収められている。現在、紀貫之本人の直筆は失われてしまっているが、当時は絵が入った草子だった。めったに旅に出られない人々、とくに女性は『土佐日記』の美しい文章と絵を通して、一緒に旅を楽しんでいるかのような気分を楽しんだに違いない。

所感

旅の日記であり、人の心を生き生きと表現した小説だ。古典とはいえ、当時は日記をひらがなで書くことといい、和歌や絵を織り交ぜているところといい、非常に型破りなチャレンジだっただろうことがうかがえる。

そんな実験的な作品が、今では「古典」とされ、小説表現として当たり前とされているところに趣を感じる。ここ100年の間でさえ、小説の表現技法は劇的に進化を遂げている。1000年以上も前から文学が刻々と進化し続けていることが垣間見えるのがうれしい。