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『おくのほそ道』松尾芭蕉

細道

本書の概要

『おくのほそ道』は、おそらく誰もが知っているであろう俳人・松尾芭蕉の紀行文であり俳諧文学だ。芭蕉の死後である元禄15年(1702年)に世に発表されているが、芭蕉の作品の中でももっとも名が知られている。その理由はさまざまだが、これまで遊びの一種としてとらえられていた俳諧を文学に昇華させたという点が大きいかもしれない。

日本古典においては紀行文学の代表的な作品であり、作品中には推敲を重ねた俳句がいくつも詠まれている。

見どころ

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

『おくのほそ道』より

『おくのほそ道』はこのような書き出しからスタートする。芭蕉の旅路は12県26か所に及び、「おくのほそ道の風景地」という国指定の名勝となっている。さらっと書いているが、150日間で約2,400kmを移動しており、時には1日に50kmも移動する日もあったらしく、かなり過酷な旅である。だが昔の人は健脚ともいうし、交通手段が限られている当時の感覚では旅とはそういうものだったのかもしれない。

旅のほとんどに随行した弟子である曾良も旅の様子を『曾良旅日記』という記録を残しているが、面白いのは、曾良が書いた内容と『おくのほそ道』とは、内容が乖離している部分が多い点だ。また、自分の句だけではなく、弟子である曾良の句もたびたび掲載している。

芭蕉は事実や自力で書き上げるという点よりも、芸術作品としての完成度を重視したということである。

所感

芭蕉の『おくのほそ道』は、旅の中で出会う小さな出来事や旅をトリガーに起こされる内省のようすを克明に描いている。また、芭蕉の句には、しばしば過去に思いを馳せたものが見られる。このことから、芭蕉は目に見えている事実(現在)ではなく、その地の過去とのつながりを得ようとしていたことが、文章からも俳句からも感じられる。

最近では、紀行文といってもフィクションとノンフィクションを棲み分ける傾向が強い。だが、そもそも日本の紀行文学というものは、事実と創作が入り交じるもので、あいまいにしてでも芸術性を重んじるところがあった。設定としては矛盾していることもあるかもしれないが、旅に出たときの心の揺れ動きというのはダイレクトに伝わってくる。

これこそ旅の醍醐味ではないだろうかと思う。旅が好きなわたしでも、なぜ旅をするのかと問われて理由を明確に伝えるのは難しいが、ただ新しい場所に行ければいい、斬新なものが見たいという理由に留まらないことだけは確かだ。フィクションでもノンフィクションでも心に響く何かがあるというのが、旅小説の奥深さでもある。